カジノ、パチ・スロについて
2019.06.07
NHK岐阜放送局のニュース番組の特集「ギャンブル依存症患者を支える」というタイトルがついている。
フェイスブックで紹介してくれたのは「大阪を知り・考える市民の会」代表世話人の中野雅司さん。この特集を見ていて感じたことなどを書きます。
ギャンブル依存症にかかった人の殆どはパチンコとスロットという話だ。パチ・スロはギャンブルではないという法律の「くくり」ではあるが、いまや「遊戯」という名を借りた賭博で、ギャンブルそのもの。全国各地に膨大な数の台数が現存する。カジノに反対ということをいうと、「パチ・スロ」は放置しているのにという賛成論者なのか、全ギャンブル禁止論者なのかわからない人からの反論を見かけることもある。
中野さんが言われている「意図的にギャンブル依存症にする仕組み」というのは電子ゲーム全体に、のめりこませる刺激的な演出が豊富であったり、得られる報酬(金額を問わず)が多かったりすること。当たった時の快感は日常生活のわずらわしさをいっとき忘れさせてくれる、いわば逃避行動なんだろう。
子どものころ、父親に連れられパチンコ屋に行ったとき、立ち姿で球を一つずつ入れて、入賞口に入ると、それが何倍にもなって出てくることに驚くと同時に、景品としてお菓子がもらえ、子供心に「面白いなぁ」と思った時代があった。チューリップ(といっても知らない人がいるかもしれない)が出てくる前のことだ。
その後、フィーバー機の登場や、さらには確率変動なるものの連チャン機能など、射幸心を煽りに煽り、依存症になってくださいと言わんばかりの流れが定着、いっとき、全国で30兆円ともいわれる巨大マーケットに成長した。今や、大型店舗がどこの都市にいっても駐車場付きで存在し、昔ながらの駅前店は殆ど姿を消している。
日常生活が豊かで、心の余裕もあり、趣味を見つけることもできて、お金にも少しの余裕がある。そんな人には無縁の世界のはず。ところが現実生活は上記の前提条件を満たしておらず、日常、心、趣味などとは逆に縁遠い「依存症」という病名までもがつく人の数は、日本では圧倒的に多いという数字もある。
ビジネスとしてカジノ業界がある(それも巨大な世界資本)からには「負けるわけはない」ビジネスモデルが存在するのは自明のこと。つまり、そこへ「遊び」に行く人たちにとって「勝てるわけはない」場所だということをどれだけの人がわかるのだろうか。わからないから中毒状態になるし、過去の歴史を見ても賭博に嵌ってしまう人が増えることは、人々の勤労意欲をそぐことから、権力者の側から様々な規制がなされた。
今は、積極的に賭博場を誘致するために、国民の税金から禄を食んでいるはずの国会議員、権力者側が率先して「依存症患者」なるものを作り続けようというのが流れになってしまい、大阪はその先頭を走っている。